「あなたって◯◯な人ね」という呪縛から解放される方法
呪縛を解放する考え方
人と付き合っていると、外から自分自身を色々と定義される。
それは「あなたって◯◯な人ね」という言葉だ。
怒り気味に「あんたってホント◯◯ね」とか、
賞賛気味に「あなたって本当に◯◯よね」とか。
自分の精神状態にもよるが、時にこれらは自分を縛る言葉になる。
「✕✕したいけど、どうせ私は◯◯だからなー」とか
「次も◯◯って言われるように✕✕しなきゃ」とか。
ふとした拍子に、以前に言われた言葉が心に引っかかることがある。
しかし先日、そんな言葉から己を解放する考え方を知った。
それは「事実」と「解釈」は違うのだということ。
「あなたって◯◯な人ね」という言葉は、一見真実であるように思えるが
実はその言葉を放った人が思ったことでしかない。
つまり「事実」ではなく「解釈」でしかないのだ。
どうしてそう思ったか、何をもってそう判断したのかを確かめぬまま
ただ相手が思ったことだけに基づいて「私は◯◯なんだ」と決めてしまう。
それは少々もったいないのではないか?
呪縛を解いたきっかけ
実はこの気付き、大変に意外な場所からやってきた。
それは先日受講してきた「方眼ノート1dayベーシック講座」だ。
取材ノートやプロット(構成)ノートのパワーアップさせたり、
子どもに勉強やノートの取り方を教えられるようになりたいと思って参加したのだが、
そこで教えられたことの一つが「事実」と「解釈」の違いだった。
色々と分かりやすい例を交えて教えてもらう中、ふとこんな話が出てきた。
「人が感情的になってワーっと言う言葉のほとんどは『解釈』である」
なるほど。
そこから派生し「あなたって◯◯な人ね」は「解釈」であると知ったのだ。
自分にかけられた呪縛
私もそれなりに色々ある。
ある程度自覚のある悪い性質に「あなたって◯◯よね」と言われたり
逆にまったく自覚もないことで「あなたは◯◯なんだから」と言われたり。
逆に褒め言葉で「頑張り屋」とか「美人」とか言われると
あまり自信がない分、その期待を裏切るのが怖くなってしまったり。
能天気に見えても、それなり落ち込んだり悩んだりするのだ。
いや……。してきたのだ。
しかしそれを相手の「解釈」だと割り切ることで、
それとは別の「事実」があるのだということに気づくことができた。
いくつかは実際に私の悪い性質が影響しているのもあるだろう。
ものによっては、偶然相手にその部分が強調されたが故の勘違いもあるだろう。
褒め言葉なら、どんな言葉でも何かしら相手の中に好意的な思いがあったのだろう。
だけど、相手の言葉に捕らわれて一喜一憂するよりも
まずは相手になぜそう言われたのか、その「事実」に目を向けてみたいと思う。
解釈の中にも真実は潜む
ただ、それでも思うことはある。
「私って何故かいつも人から◯◯だって言われるのよねー」
という言葉。
複数の人から「◯◯だ」と言われるということは、
さすがにそれが相手の「解釈」でしかないと切り捨てるのは難しい。
何かしら、多くの人にそう解釈させる事実がある。
そう考えたほうがいいだろう。
ちなみに私がよく言われるのは「よく食べるよねー」である。
これも相手の解釈……ではなく、多分事実だろう。
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