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行き過ぎ? 労働災害防止活動

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ホントにあった笑える労働災害

エンジニアとして某メーカーで勤務していた時のことだ。
緊急集会の招集がかかった。
全員参加。
聞けば社内で労災(労働災害)が発生したのだという。

労働災害とは辞書的には
労働者が業務中もしくは通勤時に、負傷(怪我)、疾病(病気)、障害、死亡する災害のこと。
重大なものなら大型プレス機に人が挟まれたり、溶鉱炉に人が転落するなど。
小さなものなら半田ごてに触れてやけどしたり、工作用刃物で手を切るなど。
業務に関わる範囲内で怪我などをすることをいう。

さて、労災が発生したと言われて集められた社員たち。
一体どれほど重大な事故が起きたのだろうかと、みな一様に表情が硬い。
固唾をのむ社員の前で、ついに上司が口を開く。

労働災害が発生した。災害内容は転落。
社内にある用水路に氷が張っていたため、
その氷の強度を試そうと氷の上に社員が乗ってみたところ
氷が割れて社員が転落。
水路のフチのコンクリートで頭を打ち、3針縫う怪我。
今後の対策として、水路には柵を設け、
従業員には、水路の氷の上には乗らないことを周知徹底する。

なんだそりゃ。
みんな真面目ぶった顔をして聞いているが、腹の中ではきっとこう思っているはずだ。
「労災っていうか、ただのバカだろ?!」

だが実はこんな話、工業の現場、特に大きな企業にいる人にとっては珍しい話ではない。
某自動車メーカーT社とか、K重工とか、M重工の社員から聞いた話によれば
階段でコケて捻挫をした社員がいたため、
階段では手すりを持って歩くように指導がなされ、監視員が立つ日がある。
とか、
段ボールを開封するのにカッターを使用していたところ手を切ったため
使用できるカッターはマメカッターという小さいものに限定されている。
とか。
周囲を見渡してみれば、そんな話がゴロゴロ転がっているのである。
これではまるで、公園から次々と撤去されていく遊具や
小さなクレームで次々と中止されていく地域の行事のようではないか。
正直、聞いただけで頭が痛くなってくる。
一体なぜ日本の大企業は、
こんなバカバカしいことに従業員の時間を割かせるのだろうか。

 

労働災害防止の考え方

ではなぜ、このような細かいことまで規制されるアホらしい事態が起こるのか。
その理由の根本は、工場の労働災害防止という考え方にある。

基本的に工業の現場では労働災害の防止がとても大切にされる。
なぜなら工業の現場というのは危険が多く
ちょっとした油断やミスから、
大けがや死亡事故、大規模火災などの重大事故が起こる可能性が高いからだ。
ゆえに現場の人間たちは労働災害の撲滅「ゼロ災」を目指す。

例えば、工場によくあるベルトコンベアーを例に挙げてみよう。
ベルトコンベアーに作業者の手が巻き込まれ、切断するのが重大事故。
だがその裏には、
コンベアーのローラーに指が接触して血豆ができたような軽微な災害や
手袋がコンベアーに引っかかってコンベアーが停止したような
ちょっとヒヤっとしたり、ハッとさせられるの事例が必ずある。
例えば手袋が引っかかった時点で、コンベアーに巻き込まれ防止カバーをつけておけば
作業者の手が巻き込まれ切断される重大事故はなくなる。
なので、手袋が引っかかったとか、血豆ができたといった些細な情報を共有し
改善や対策を行っていくというのが、労働災害防止の考え方の基本なのである。

このような考え方は、ハインリッヒの法則に基づいている。
アメリカの損保会社の研究によって発見された法則なのだが、
1件の重大事故・災害の裏には29件の軽微な事故・災害があり
さらにその裏には300件のヒヤリ・ハット(仕事中にヒヤっとしたこと)
があるといわれているのだ。
つまり1件の重大事故を防ぐためには、
その裏にある329件の軽微な事故やヒヤリ・ハットを無くさなければならない、
と言われているのである。

 

労働災害事例が共有される理由

労働災害防止において、小さなことでも情報共有が必要な理由は分かった。
けれども
氷の上に乗ったら氷が割れたようなバカバカしい情報までわざわざ共有し
ご丁寧に対策する必要はあるのだろうか。
あまりにもくだらない事例については「従業員の不注意」などとして
処理してしまったほうが手間も掛からないし、良いのではないか?
正直なところ、そう思う。

だが「従業員の不注意」として切り捨てないことにも意味はある。
一つには不注意とそうではないものの線引きが難しいこと。
もう一つは、
本来ならば共有すべき事例が故意や勘違いにより不注意として処理されてしまい
必要な情報が埋もれてしまうのを防ぐことだ。
特に、共有すべき事例が埋もれてしまうのは、
労働災害防止の基本的な考えに反するものだ。
現場にとっては絶対に避けなければならないのである。
例えば、階段での転倒防止に手すりを持つことだって、
転び方が悪くて頭を打ったり、昼休み時の混雑した階段だったりしたら
重大事故につながってしまう可能性だってあるのだ。
不注意として切り捨てず、情報共有する意味はある。

 

労働災害事例共有のデメリット

とはいえ、あまりにも四角四面に労働災害情報を共有し
いちいち対策を取ることにもデメリットがあると私は思う。
一つは無駄な工数の発生
もう一つは労働者のモチベーション低下である。

例えば敷地内の水路に柵を取り付ける、監視員に巡回させる。
階段の手すりを持てと指導する、張り紙をする。
カッターの刃の長さを指定する、職場にあるカッターを点検する。
正直、ちょっと無駄じゃありませんか?と思ってしまう。

さらに言えば日本において労働者というのは基本的に「大人」だ。
いい大人が「氷の上に立つな」だの「階段では手すりを持て」だの
上司からヤイヤイ言われたら、何だかゲンナリしてくるとは思わないか?
さらに安全だと言われる豆カッターは正直使いづらいし、
これ以上うるさく言われるくらいなら、
ちょっと指を切った程度なら、ツバつけて、無かったことにしたくなる。
あまりに厳しくしすぎることは
かえって不正や反感の元になってしまうと思うのだ。

 

理屈として正しいことと現実との不一致

つまらない労働災害事例でも共有する意味はある。
不注意や悪ふざけとして切り捨てない意味も分かる。
けれども、本当に本当に全てをすくい上げる必要はあるのか?
効率的な働き方という考え方に反していないのか?
何もかもが禁止と規制にまみれて動きにくくなってしまう前に
もう一度考え直してみることはできないのだろうか。


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